正使
提供: 新纂浄土宗大辞典
しょうし/正使
煩悩の本体を意味する語。習気と対で用いられることが多く、正使は煩悩の主勢力を意味し、習気は余勢を意味する。また、ただ使のみでも煩悩を意味し、『阿毘曇心論』などから使がⓈanuśaya(随眠)の訳語であることが推測される。正使が煩悩の同義語として使われるのは中国撰述の文献に多く、例えば善導『観経疏』玄義分では「正使尽未尽 習気亡未亡」(聖典二・一六〇/浄全二・一上)とし、正使と習気を対にして用いている。また正使と習気については、声聞・縁覚の二乗はただ正使のみを断ち、菩薩は正使と習気を共に断つと説かれたり、菩薩が十地の位に入る以前に正使を断ち切り、十地に入って習気を断つとも説かれ、正使を先に断ち、その後に習気を断つとされている。
【執筆者:石田一裕】