ききょうそうおう/機教相応
衆生の機根と仏の教法とが相応じ一致すること、また教えと修行者の資質が嚙み合うこと。もともと衆生の器量は様々で千差万別であるが、仏の教法はこの千差万別な器量に相応して、あたかも病に応じて薬が与えられるように、様々に説き述べられる。すなわち、自らの器量に相応する教えであれば、その教えにしたがって道を進むことができる。法然は『逆修説法』一七日において「唯だ此の一宗のみ機と教相応せる法門なり」(昭法全二三六)と述べている。浄土の教えが末法の時機にふさわしく罪悪愚鈍の凡夫にかなっているのも、機と教とが嚙み合う教えであるからである。
【参照項目】➡時機相応、応病与薬
【執筆者:藤本淨彦】