仏や菩薩が衆生を救済するために、種々の姿に化してこの世に現れること、あるいはその姿。応現、権現ごんげんともいう。日本では、本地垂迹ほんじすいじゃくの考えによって日本の神のその本地は仏であり、日本の衆生を救うために仮に神の姿として現れたと考えられた。また、平安時代の『栄花物語』では、多くの寺院を建立し作善を行った藤原道長について、聖徳太子や空海の生まれ変わりである「権者」ととらえている。
【参考】村山修一『本地垂迹』(吉川弘文館、一九七四)
【参照項目】➡本地垂迹
【執筆者:工藤美和子】