きょうにち/敬日
一三世紀頃、生没年不明。山門に住した天台宗の僧であるが、のち隆寛の弟子となる。嘉禄三年(一二二七)八月の検非違使別当宣の「念仏者余党溺出事」にはその名前がみえ、隆寛の門弟として京洛で活動していたことがわかる。智慶とならぶ有力な隆寛の門弟であるが、師の教説とは異なっており、『源流章』には諸行による報土往生を認め、上品上生を報土往生とし、以下の八品を辺地往生とする(浄全一五・五九五上)。弟子に慈信房澄海がいる。著作には、天台の要文を集めて作ったとされる『初心集』があるが現在は散逸している。『一言芳談』や『閑亭後世物語』には敬日の法語が引用される。
【執筆者:伊藤茂樹】