徳定
提供: 新纂浄土宗大辞典
とくじょう/徳定
明和二年(一七六五)—文政七年(一八二四)一月六日。然蓮社昭誉、字は仏慧。清浄華院五八世。紀伊国日高郡出身。同郡称名寺俊廓のもとで出家後、増上寺に掛錫し誠誉定説について修学。同寺で所化役者を勤め、同寺の学頭を経て、文化一〇年(一八一三)五月に生実大巌寺三八世住職、同一三年五月に台命と勅請により清浄華院の住職となる。文政二年(一八一九)正月には光格天皇の皇女娍宮(尊勝光院)の葬送の導師を勤めた。同六年一一月に病を得て、翌年の正月六日に寂した。世寿六〇歳。火葬に際し舌根が焼け残ったと伝えられる。
【資料】『清浄華院誌要』(浄全二〇)、『三縁山志』『浄源脈譜』(共に浄全一九)、『続日本高僧伝』(仏全一〇四)、『陵墓要覧』(宮内庁書陵部、一九九三)
【参考】宇高良哲「浄土宗触頭増上寺役者譜年次考」(『大本山増上寺史』大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:石川達也】