幸阿弥陀仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
こうあみだぶつ/幸阿弥陀仏
承安三年(一一七三)—暦仁元年(一二三八)一二月二日。法然の門弟。熊谷直実(蓮生)が建立した光明寺を、直実が関東へ帰る際付与されたという。同寺は、のちに証空が入寺し、西山義の根本道場となる。寺伝では法然、蓮生に続く三世。嘉禄の法難(一二二七)の際、光明寺で法然の遺骸を荼毘にし、その遺骨を預かり「庵室の塗籠に深く納め置き奉りて、鎮西に下向」(聖典六・六四六)した。後に隆寛らが二尊院の西の岸の上に雁塔を建て、遺骨を迎えた。
【参考】『光明寺沿革誌』(光明寺、一九一一)、三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)、法然上人伝研究会編『法然上人伝の成立史的研究』二〈対照篇〉(臨川書店、一九九一)
【参照項目】➡光明寺一〇
【執筆者:南宏信】