法然幼時の呼称。法然の父の漆間時国うるまのときくにが、預所であった明石源内定明さだあきらの夜襲を受けたとき、幼かった法然も自らの小矢でもって定明に応戦し、定明の右目を射たことからつけられた。
【執筆者:工藤美和子】