存覚
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぞんかく/存覚
正応三年(一二九〇)六月四日—応安六年(一三七三)二月二八日。諱は光玄。本願寺三代宗主覚如の長男。一三歳(嘉元元年〔一三〇三〕)東大寺で受戒し、東大寺、興福寺、延暦寺などで学んだ後に、覚如が本願寺宗主となった折に、父とともに東山大谷に入る。その後、父の教化を助け、正和三年(一三一四)大谷廟堂留守職を継職する。八年後父と不仲となり義絶され、留守職を退く。暦応元年(一三三八)義絶が解かれるが、康永元年(一三四二)再び義絶となる。覚如が示寂する前年(覚如八一歳)、観応元年(一三五〇)に義絶が解かれる。しかし、存覚はその後も留守職を継承することなく、存覚の甥である善如が、四代宗主となった。存覚教学は、仏教的、浄土教的な広い視点に立ち、さらには、時代の要請にどう応ずるかなどの立場に立って親鸞教義を解釈した。親鸞の主著『教行信証』のはじめての解釈書である『六要鈔』や『浄土真要鈔』『持名鈔』『船鈔』をはじめ、神と仏の問題を述べた『諸神本懐集』や女性の救いについて述べた『女人往生聞書』などの著書がある。
【参照項目】➡覚如
【執筆者:浅井成海】