大信寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいしんじ/大信寺
群馬県高崎市通町。願行山峰巌院。群馬教区№一。元亀元年(一五七〇)総誉清巌の開山。はじめ群馬郡保渡田(高崎市保渡田町)に草庵を結んだが、慶長三年(一五九八)井伊直政が箕輪城から高崎に拠点を移したことに伴い現在地に移転した。清巌は川越蓮馨寺感誉存貞に師事し、当寺を開創後、鴻巣勝願寺を中興し、さらに岩槻浄国寺を開いた。三世円誉不残は後陽成天皇から紫衣・金襴袈裟被着を許された。寛永一〇年(一六三三)江戸幕府三代将軍徳川家光の弟忠長が高崎城で自刃し当寺に埋葬された。そのため、忠長の墓地造営費や年忌法衣料などが幕府から支給された。なお、滋賀県彦根市にある滋賀教区№二の宝厳山大信寺は、慶長六年(一六〇一)に当寺が移転したものとの記録も伝わる。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』中・下(『増上寺史料集』六・七)、『大猷院殿御実紀』(『徳川実紀』二)、『岩付浄国寺志』(浄全二〇)、『新撰往生伝』(浄全一七)
【執筆者:𠮷水成正】