報土往生
提供: 新纂浄土宗大辞典
ほうどおうじょう/報土往生
報身仏の住む浄土である報土に往生すること。法然は浄土宗を立てた理由について、「我、浄土宗を立つる心は、凡夫の報土に生まるることを、示さむためなり。…諸宗の所談、異なりといえども、凡て凡夫報土に生まるることを許さざる故に、善導の釈義によりて、浄土宗を立つる時、すなわち、凡夫報土に生まるること現わるるなり」(『四十八巻伝』六、聖典六・六五)と述べ、称名念仏による凡夫の報土往生を明らかにするためであったとしている。法然が言うように、善導以外の諸師は、報土は仏のみ、あるいは初地以上といった高位の菩薩のみが感得できる世界であるとして、凡夫が報土に往生することを認めなかった。しかし、善導は『観経疏』玄義分において「問うて曰く、かの仏および土、すでに報なりと言わば、報法は高妙にして、小聖すら階り難し。垢障の凡夫云何が入ることを得ん。答えて曰く、もし衆生の垢障を論ぜば、実に欣趣し難し。正しく仏願に託して、以て強縁と作るに由って、五乗をして斉しく入らしむることを致す」(聖典二・一八五~六/浄全二・一二上)として、極楽は報土であるが、たとえ凡夫であっても阿弥陀仏の本願力によって往生できることを説いている。
【執筆者:曽和義宏】