ため息をつくほど感嘆すること。諮嗟とも。嘆息することから転じて讃嘆しほめたたえることの意でも用いられ、『無量寿経』上の第十七諸仏称揚願に「もし我れ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟して、我が名を称ぜずんば、正覚を取らじ」(聖典一・二二七/浄全一・七)とある。
【執筆者:石上壽應】