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印光

提供: 新纂浄土宗大辞典

いんこう/印光

清・咸豊一一年(一八六一)一二月—中華民国二九年(一九四〇)一一月。陝西省の趙氏の生まれ。名前は丹桂、あざなは昭伊、子任と号した。法名を聖量、常慙愧僧と号した。中国浄土教の一三祖。初め儒学を学び、仏法を批判したが、その後、『龍舒浄土文』を読んで、念仏法門が生死輪廻出離する最も重要な法門であると悟り浄土教専修を始めたという。光緒七年(一八八一)終南山南五台の蓮華洞寺で道純のもとで出家し、同八年、陝西興安の双渓寺で印海定公のもと具足戒を受けた。印光浄土思想は「儒教に説かれている人間の本分に尽くし、邪を修正し誠を目指すこと、仏教の諸悪莫作の理念を実修すること、さらに生死輪廻を断じるため菩提心を持ちながら、深い信・願をもって、阿弥陀経名号を称すこと」とまとめることができる。また善書を配布し、中国全土はもとより、東南アジア華僑の地域にも布教につとめた。なお、彼の文書と遺文は『印光法師文鈔』四巻、『印光法師文鈔続編』二巻、『印光法師文鈔三編』に収録されている。


【参考】震華『中国仏教人名大辞典』(上海辞書出版社、一九九九)、張雪松『対印光法師及其近代中国浄土宗重構的批判性研究』(香港中文大学博士論文、二〇〇八)


【執筆者:肖越】