しんばい/信培
延宝三年(一六七五)一二月一〇日—延享四年(一七四七)二月一九日。信倍とも書く。澄蓮社忍誉。字は湛慧。京都三条白河橋で生まれる。父は谷口氏、母は渡辺氏。一四歳で京都華開院の息菴について出家し、聞証に師事する。一七歳で江戸霊山寺の廓瑩より法嗣し、二五歳で華開院を継ぐ。唯識・華厳を中心に精究する傍ら、荻生徂徠などにも学んだ。また沙弥戒を受けて以降は、戒律の研究に専念した。著書に『一露濤』一巻、『指要鈔』一〇巻、『因陀羅手』一巻、『成篇』四五巻、『弁断』三巻などがある。
【資料】『長時院律法開祖湛慧和上行状』(浄全一八)
【参照項目】➡湛慧和上行状
【執筆者:大屋正順】