了秀
提供: 新纂浄土宗大辞典
りょうしゅう/了秀
—宝永七年(一七一〇)一月一五日。憲蓮社章誉、字は至真。清浄華院四七世。京の人。頓誉知哲について修学した後、岩槻浄国寺一三世住職となった。元禄一〇年(一六九七)一〇月に浄国寺は火災に遭ったが、了秀が江戸で六〇日間の開帳をして七〇〇両を得、本堂を再建。恢龍の死去により、同一一年一一月台命と勅請によって、清浄華院に転昇した。宝永五年(一七〇八)三月に諸堂が火災に遭うと、江戸で勧進して再建に努め、同年六月に仮庫裡を建設し、同年一一月に町奉行より土居藪を拝領し、翌一二月に庫裡を再建した。また霊元上皇から狩野永納が摸写した泣不動縁起を賜ったといわれる。著書に『法事讃私記検要』七巻がある。
【資料】『清浄華院誌要』『岩付浄国寺志』(共に浄全二〇)、『総系譜』『浄源脈譜』(共に浄全一九)
【執筆者:石川達也】