一三世紀末頃、生没年不明。聖光の門弟。豊後の人。同州長吏日田の地頭の子にしてその職務についていたが、その職務をなげうって聖光の門弟となった。聖光入寂のときには善導寺の上に紫雲がたなびくのを見て急いで善導寺に赴き、聖光の入寂に立ち会ったという。綽阿伝承の『授手印』が太田大光院に現存する。
【参考】『翼賛』四六(浄全一六)、『鎮流祖伝』三(浄全一七)、『総系譜』(浄全一九)、阿川文正「『末代念仏授手印』解題」(聖典五)
【執筆者:郡嶋昭示】