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実義無輩品

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じつぎむはいほん/実義無輩品

浄土の実義に立てば、すなわち浄土往生したならば三輩九品の差別はないことを表した語。聖冏が用いた語で、『浄土二蔵二教略頌』において「もしおう、若はじゅ、実あることなし。皆是れ教門応化の道なり。浄土の実義には輩品無し、同一無差薩婆若むささはにゃなり」(浄全一二・一〇下)と述べられている。また『釈浄土二蔵義』(浄全一二・三四一中)においても、九品衆生済度の手立てとして釈尊が説いたものであり、浄土の実義としては上下の差はないとしている。法然は『十二問答』において「極楽九品の差別そうろう事は阿弥陀仏の構えさせたまえる事にてそうろうやらん」という問いに対して「極楽九品弥陀本願にあらず。四十八願の中にもなし。これは釈尊巧言ぎょうごんなり。善人悪人一所に生まるといわば、悪業の者ども慢心を起こすべきが故に九品の差別をあらせて、善人は上品に進み悪人は下品に下ると説きたまえるなり」(聖典四・四三四/昭法全六三三~四)と答えている。このことは、法然が教相としての九品釈尊の巧言と解し、実義としては無輩品であると捉えていたことを示している。


【資料】『浄土頌義探玄鈔』


【参照項目】➡九品三輩九品皆凡


【執筆者:曽根宣雄】