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一向俊聖

提供: 新纂浄土宗大辞典

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いっこうしゅんじょう/一向俊聖

暦仁二年(一二三九)一月一日—弘安一〇年(一二八七)一一月一八日。時宗一向派祖。儀空菩薩良忠ならびに証空門下の顕性に師事した。筑後国竹野荘西好田(福岡県久留米市)草野永泰の次男として誕生。寛元三年(一二四五)書写山しょしゃざん登山、建長五年(一二五三)受戒し天台教学を修める。鎌倉在住の良忠の門に入る。常随一五年、一向専念の文により名を一向と改め、諸国遊行念仏聖となる。宇佐八幡で四八夜の踊り念仏を修して鰐口わにぐちを授かり、建治三年(一二七七)備中国吉備津宮で礼智阿れいちあ弟子とした。生涯を通し遊行踊り念仏を行いながら民衆を教化し、弘安一〇年一一月一八日近江国番場蓮華寺(滋賀県米原市)で立ち往生したという。一向俊聖の法流が時宗一向派・天童派である。


【資料】『一向上人伝』(蓮華寺蔵)、『法水分流記』(『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)


【参考】大橋俊雄『番場時衆のあゆみ』(浄土宗史研究会、一九六三)


【参照項目】➡一向派


【執筆者:長澤昌幸】