紫衣
提供: 新纂浄土宗大辞典
しえ/紫衣
現在は主に紫色の道具衣や袱紗衣の法衣をいう。古くは三衣が袈裟であるように紫袈裟とされている。中国の唐代の載初元年(六八九)則天武后が法朗ら九人に紫袈裟を賜ったのが嚆矢とされ、天平年間(七二九—七四九)には入唐僧玄昉が玄宗皇帝から紫袈裟を下賜されている。日本においては平安末期に鳥羽上皇が青蓮院行玄大僧正に下賜し、その後青蓮院門跡が紫衣の許可に権勢を振るうことがあった。一四世紀半ばには堺の旭蓮社澄円が後村上天皇より紫衣を賜り、明応四年(一四九五)には、鎌倉光明寺祐崇が、後土御門天皇から代々の住持の紫衣の勅許である常紫衣を得ているが、そうした寺院を近世では紫衣地といい、また僧正以上が許可され着用することもあった。江戸時代紫衣の許可に関しては、朝幕の確執による紫衣事件もおこっている。律令の冠位の色では紫が首位であり、それに準じられていたが、江戸時代から緋衣をその上位におくことがあり、紫衣はそれに次いだ。浄土宗においては、合同後の昭和三八年(一九六三)宗規により正僧正、僧正および允許を得た大僧都が被着することとなった(僧侶分限規程)。
【資料】『仏祖統紀』(正蔵四九)、『鎮流祖伝』四(浄全一七)
【参考】井筒雅風『法衣史、袈裟史』(雄山閣、一九九三)
【参照項目】➡紫衣地
【執筆者:野村恒道】