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新黒谷

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しんくろだに/新黒谷

大本山金戒光明寺の通称。永正九年(一五一二)理聖の再建勧進状に「叡山黒谷の霊宝を移し新黒谷と号す」(浄全二〇・四〇七下)とある。また、代々比叡山黒谷と来往していたから(『黒谷誌要』)、法然が一寺を開くにあたり比叡山黒谷を模したから(『京都坊目誌』)、新黒谷と称したともいわれる。『中院一品記なかのいんいっぽんき』には暦応三年(一三四〇)八月の徳大寺亭における如法経十種供養導師を「新黒谷寿観上人」(六世任空)が勤めたとあり、南北朝の初期には新黒谷と通称されていた。室町時代成立の『正徹物語』には「東山黒谷」の呼称が見られる。二二世道残の「金戒光明寺法度之事」の裏書(天正一七年〔一五八九〕)と「紫雲金戒光明寺縁起事」には新黒谷黒谷の呼称の併用が見られるが、江戸時代以降は黒谷と単称されることが多い。


【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)、水野恭一郎・中井真孝編『京都浄土宗寺院文書』(同朋舎出版、一九八〇)、『京都坊目誌』(『新修京都叢書』一九、臨川書店、一九六八)、『正徹物語』(『歌論集 能楽論集』日本古典文学大系六五、岩波書店、一九六一)


【参考】藤本了泰「黒谷金戒光明寺史の一考察」(『大正大学学報』三〇・三一、一九四〇)


【参照項目】➡金戒光明寺黒谷


【執筆者:山本博子】