諸法実相
提供: 新纂浄土宗大辞典
しょほうじっそう/諸法実相
諸法の真実の在り方のこと。言葉では表現できない諸法の本質。ⓈdharmatāやⓈdharmasvabhāvaなどの訳語として用いられることが多いが、これ以外の語の訳語としても用いられる。諸法実相は般若経典や『中論』など空を説く経論に多くみられる語で、訳語としては特に鳩摩羅什が好んで用いたといえる。諸法実相の意味は多岐にわたるが、『摩訶般若波羅蜜経』に「諸法実相を得るがゆえに、名づけて仏となす」(正蔵八・三七九上)と説かれたり、『中論』に「諸法実相はすなわち是れ涅槃なり」(正蔵三〇・二五上)と説かれるように、涅槃と同義の語である。さらに『智度論』六五や『同』九〇によれば、諸法実相は般若波羅蜜であり、これを得れば性空を知るとされる。また諸法実相は大乗特有の概念といえ、中国撰述の論書においては一法印と名づけられ、大乗の根本教義とみなされている。このような諸法実相、すなわち諸法の真実の在り方とは空性に基づいたもので、それは覚りの智慧で知るべきことである。それゆえ諸法実相を知ることは、覚りを得ることである。そうであるからこそ諸法実相は涅槃であり、言語によって説明し得ないのである。このような理解を基本としつつ、宗派によって様々に諸法実相が論じられている。
【資料】『維摩経玄疏』六、『鳩摩羅什法師大義』中
【参考】中村元『龍樹』(講談社学術文庫、二〇〇二)
【執筆者:石田一裕】