精神を集中させること、またそのような境地。ⓈdhyānaⓅjhānaⓉbsam gtan。定とも訳され、禅那と音写され、また禅定ともいわれる。『俱舎論』二八に「何の義に依るが故に、静慮の名を立つるや。これ寂静にして能く審慮する故なり」(正蔵二九・一四五中)とあるように、静慮とは心を静め対象を思慮する、すなわち善心をもって対象に集中し、正しく知ることである。この静慮は初静慮・第二静慮・第三静慮・第四静慮の四つに分類され、これを四静慮や四禅といい、色界の四禅天と対応するものである。
【参照項目】➡禅定、四禅天
【執筆者:石田一裕】