はかりしれない過去から積み重ねてきた自己の罪障によって迷いの生死を繰り返し、常に苦海に没溺もつできしてもはや逃れるすべのない凡夫のこと。善導は『観経疏』序分義に「ただし如来の臨化りんけは、偏ひとえに常没の衆生の為なれば、今すでに等しく慈雲を布しいて、普く来潤らいにんを沾うるおさんことを望欲もうよくしたまう」(聖典二・二三三/浄全二・三二上)と述べ、阿弥陀仏の救いが偏に常没の衆生のためにあることを説いている。
【執筆者:吉水岳彦】