正如房へつかわす御文
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しょうにょぼうへつかわすおんふみ/正如房へつかわす御文
法然述。正如房という帰依者への手紙で、専修念仏による往生が間違いないことを強調する。『西方指南抄』下本、『和語灯録』四、『四十八巻伝』一九所収。消息の内容から、正如房は病が重篤な状態にあり、帰依していた法然に来訪を依頼したことがわかる。法然はそれに対し、別時念仏中であること、会えばかえって執着心が生じて往生の妨げになるかもしれないことを理由に要請を断る。そしてむしろ往生さえできれば極楽で再会できることを述べて、念仏を勧める。ただし、正如房は当時、周りの人たちから念仏のみで往生など不可能であると説き聞かされ、専修念仏に対する信仰に揺らぎが生じていたらしい。そこで法然は念仏往生の確かさの根拠を非常に詳細に説き示し、決して他宗の人の言葉に惑わされないようにと強く誡める。長大な本消息には様々なことが説かれるが、その中心を占めるのはまさにこの部分といえる。その後、本消息には追伸が付せられ、この手紙が病人には長すぎるようであるなら、誰かが読んで要点を伝えるだけでもよいと述べる。ちなみに、正如房とは式子内親王であるとされ、それを前提に、式子内親王の忍ぶ恋の相手は、一般にいわれる藤原定家ではなく、法然ではないかという説が提示された。法然は内親王の恋心に気付いていたため、僧侶としての立場を考えて面会を断ったが、そのかわり、他の女性宛の消息等と比べても、いっそう心を尽くした長文の手紙をしたためたのではないかという推測である。恋心の有無は別としても、確かに本消息には浄土での再会の約束、別時念仏の功徳の正如房への回向、「あはれ」という言葉の繰り返しなど、相手の状況・気持ちを慮る文言が随所に見られる。なお、正如房が式子内親王であれば、本消息は式子内親王の没年の建仁元年(一二〇一)かその前年あたりの成立と推定できる。
【所収】聖典四、昭法全
【参考】石丸晶子『式子内親王伝・面影人は法然』(朝日新聞社、一九八九)
【参照項目】➡正如房
【執筆者:安達俊英】