定朝
提供: 新纂浄土宗大辞典
じょうちょう/定朝
—天喜五年(一〇五七)八月一日。平安時代後期に活躍した仏師で、寄木造技法の完成者とされる。康尚の子。その優美な作風は定朝様といわれ、造仏の模範と仰がれた。造仏の功で、治安二年(一〇二二)に法橋の僧位を得、次いで永承三年(一〇四八)に法眼の位を得ており、これは仏師として初めて僧侶の位を受けた例である。仏師の共同組織「仏所」の設立にも尽力し、子の覚助が祖とされる仏所はその一族・子弟が京都七条に住んでいたことから「七条仏所」「七条大仏所」と呼ばれた。文献上は多くの作品が伝えられ各地に定朝作と伝えられている仏像が残るが、現存し定朝作と確実に認められるものは平等院本尊の木造阿弥陀如来坐像(国宝)のみである。
【資料】『法成寺金堂供養記』(『群書類従』二四)、『造興福寺記』(仏全一二三)
【参考】中野玄三編『日本の美術』五〇(至文堂、一九七〇)、『歴史の京都』四(淡交社、一九七一)
【参照項目】➡寄木造
【執筆者:伊藤弘道】