じょうせつ/定説
享保一〇年(一七二五)—享和二年(一八〇二)一月一二日(『華頂要略』『華頂誌要』には三日)。見蓮社誠誉尊阿起信。知恩院六〇世。生地・師籍不明。岩槻浄国寺二八世、瓜連常福寺五一世、鎌倉光明寺七六世を経て寛政三年(一七九一)九月二五日台命によって知恩院六〇世、翌四年三月五日に大僧正に任ぜられる。同七年八月一二日に宮中小御所において基の『阿弥陀経疏』一巻を進講、恵心院前大僧正に法話を行っている。同一〇年九月一〇日辞山し、京都富小路五条新善光寺に隠居した。
【資料】『華頂要略』(仏全一二八)、『華頂誌要』(浄全一九)、井川定慶『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:伊藤弘道】