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石井教道

提供: 新纂浄土宗大辞典

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いしいきょうどう/石井教道

明治一九年(一八八六)一二月二三日—昭和三七年(一九六二)八月九日。暢蓮社宣誉演阿説音。鴨水とも称した。愛知県葉栗郡葉栗村(現・一宮市)石井勇四郎の二男として生誕。一〇歳で京都永養寺俊竜の徒弟となり、のち称名寺宇都宮貫道の弟子善道について得度。明治三六年(一九〇三)浄土宗五教校を卒業。三年に及ぶ大患の後、宗教大学研究科で華厳学、浄土宗学ならびに余乗を学び、山下現有から宗戒両脈相承。同四三年宗教大学を卒業。大正五年(一九一六)から比叡山大学で仏教諸学を講じ、同九年から佛教専門学校の教授を兼ねた。同一二年宗教大学教授就任。昭和一七年(一九四二)望月信亨退任後、浄土学科主任教授となり、同二八年まで勤めた。昭和二六年(一九五一)論文「華厳学成立考」で文学博士の学位を取得。大正九年(一九二〇)伏見松林院を董し、昭和二八年(一九五三)正僧正、同二九年勧学、翌年准司教に叙せられた。世寿七六歳。伏見鷹匠町松林院墓地に塔した。真摯な研究と高潔な人柄は多くの子弟を魅了した。著書に『叡山宗教』(天台宗西部大学出版部、一九一九)、『浄土の教義と其教団』(宝文館、一九二九)、『国訳大蔵経 国訳十地経論』(国民文庫刊行会、一九三五)、『大蔵経講座一六 選択集講義』(東方書院、一九三五)、『法然上人の日本的宗教』(松林宗学研究会、一九四〇)、『選択集の研究・註疏篇』(誠文堂新光社、一九四五)、『選択集の研究・総論篇』(平楽寺書店、一九五一)、『選択集全講』(同刊行後援会・祐天寺、一九五九)、『昭和新修法然上人全集』(理想社、一九五五)、『華厳教学成立史』(石井教道博士遺稿刊行会・大正大学浄土学研究室、一九六四)等がある。


【参考】『華厳教学成立史』「著者略歴」


【執筆者:梶村昇】