現在の千葉県成田市の一部。良忠が下総教化の際に拠点とした地で、この地にあった光明寺に住したという。良忠はこの地域の有力者であった千葉一族の荒見弥四郎の懇願でこの地に赴き、善導『観経疏』の講説をしたと伝えられており、この際に『伝通記』の草稿が記された。良忠が鎌倉に移った後、光明寺は荒廃するが、寛永一四年(一六三七)に袋中がこの地を中心に活動して復興したとされる。
【資料】『伝通記』散善義記三、『糅鈔』四八、『袋中上人伝』
【参考】恵谷隆戒『浄土宗第三祖然阿良忠上人伝の新研究』(金尾文淵堂、一九三四)
【参照項目】➡光明寺四
【執筆者:郡嶋昭示】