西明寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
さいみょうじ/西明寺
一
兵庫県尼崎市食満。金剛山無量院。兵庫教区№八〇。円光大師御遺跡廿五箇所の番外札所。法然が神崎の遊女を弔ったと伝えられる遺跡。文治年間(一一八五—一一九〇)法然の開基と伝える。法然が建永の法難で配流の途中、神崎の五人の遊女が教えを聞き、神崎川に入水したのを弔うために、遺骸の寄りかかった橋杭で自らの像を刻んだという。現在は焼失したが、『摂陽群談』一四では本尊の弥陀像も法然作の霊像とされていた。寛保二年(一七四二)建立の標石では「円光大師船中御自作二祖尊像」とあり、『摂津名所図会』六では讃岐から帰洛のとき当地に逗留し、善導像と自らの像を刻み遺し当寺の本尊としたとする。「波除の尊像」と呼ばれた法然像の胎内から「乾元元年(一三〇二)十二月」の墨書が発見されている。
【資料】霊沢『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』(『藤堂恭俊博士古稀記念浄土宗典籍研究』資料篇、藤堂恭俊博士古稀記念会、一九八八)、『摂陽群談』(『大日本地誌大系』三八、雄山閣、一九七一)、『摂津名所図会』(『版本地誌大系』一〇、臨川書店、一九九六)
【参考】梅渓昇「法然遺跡寺院としての如来院の活動について—付、西明寺について—」(『藤堂恭俊博士古稀記念浄土宗典籍研究』研究篇、藤堂恭俊博士古稀記念会、一九八八)、浄宗会編『円光大師法然上人御霊跡巡拝の栞』(知恩院、一九九六)
【執筆者:山本博子】
二
中国陝西省長安にあった寺。唐の高宗の勅命で顕慶元年(六五六)に延康坊の西市に隣接する場所に創建された。完成に三ヶ年を費やし七堂伽藍および十僧院を有する長安屈指の巨刹であった。完成後に道宣が上座となり、この寺で『続高僧伝』その他数種を著述した。玄奘も一年三ヶ月ばかりであるが西明寺に居住した。新羅僧の円測も、『法苑珠林』の著者で律宗の研究家である道世も、中唐時代には『一切経音義』の著者慧林も、『貞元録』を著述した円照もこの寺に居住した。入唐僧の永忠、空海、道慈もこの寺に滞在した。特に道慈は平城京に新造された大安寺の規模を西明寺に模して設計したという。
【資料】『慈恩伝』一〇、『古今仏道論衡』丁
【参考】小野勝年『中国隋唐長安・寺院史料集成』(法蔵館、一九八九)
【執筆者:佐藤成順】