摂津国八部やたべ郡神戸(神戸市元町)。法然が四国への流罪を許されたのちに、しばらく逗留した地。押部は神功皇后が三韓より帰る際に、討伐した敵の首をこの地に埋めたことから頭こうべ村といわれたと伝えるが、生田社の神封戸の集落であったことから神戸(かんべ、こうべ)と呼ばれた。承元元年(一二〇七)、法然は罪を許されて帰洛する途中に、この地に逗留して多くの人々に念仏往生の教えをすすめ、念仏門に入らしめたという。
【資料】『四十八巻伝』三六(聖典六・五七〇)
【執筆者:工藤美和子】