一六世紀頃、生没年不明。一蓮社尭誉。字あざなは文宗。飯沼弘経寺六世。弘経寺五世の祖洞のもとで修学した後、相模国小田原の大蓮寺に住した。天文一二年(一五四三)、弘経寺に入寺して六世となり、その法灯を継いだ。生没年、世寿ともに定かでないが、『後奈良天皇女房奉書』や『知恩院徳誉光然書状』に、還魯の遷化について記されていることから、天文二三年(一五五四)の六月七日までに没したと考えられる。
【資料】『総系譜』中、『飯沼弘経寺志』(共に浄全一九)、『結城弘経寺志』(浄全二〇)
【執筆者:加藤弘孝】