見仏することにより、記別を授かること。『観経』第九観の「無量寿仏を見たてまつる者は、すなわち十方無量の諸仏を見たてまつる。無量の諸仏を見ることを得るが故に、諸仏現前に授記したまう」(聖典一・三〇一/浄全一・四四)との教説について、善導の『観経疏』定善義では「すでに諸仏を見たてまつれば、すなわち、定中において授記を蒙ることを得ることを明かす」(聖典二・二七四/浄全二・四九下)とする。
【参照項目】➡授記二
【執筆者:瀧沢行彦】