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見生無生往生

提供: 新纂浄土宗大辞典

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けんしょうむしょうのおうじょう/見生無生往生

浄土往生したいとの凡夫の願いは一種の執着であり、生に対する誤った考え(生見)として否定されるべきであるが、名号を称えて浄土往生することにより自然無生を体得する往生をいう。聖聡が『往生論註記見聞』四において名づけたもので、無生而生往生に対す。曇鸞往生論註』下に「彼の清浄仏土に阿弥陀如来の無上の宝珠あり、無量荘厳功徳成就のきぬを以てつつみて、之を往生する所の者の心水に投ずるに、に生の見を転じて無生の智と為すことを能わざらんや。また氷の上に火をくに、火猛きときは則ち氷解く、氷解くるときは則ち火滅するがごとし。彼の下品の人、法性無生を知らずと雖も、ただ仏名を称する力を以て往生の意を作して彼の土に生ぜんと願ずれば、彼の土は無生の界なれば見生の火自然に滅す」(浄全一・二四六上)とあるように、見生を無生に転ぜしめるものは名号であり、浄土自体である。


【資料】『往生論註』下、『往生論註記』四、聖聡『往生論註記見聞』四(以上、浄全一)、『大原談義聞書抄見聞』(浄全一四)


【参照項目】➡無生而生往生


【執筆者:石川琢道】