康和三年(一一〇一)—。景賀、慶賀、鏡賀とも書く。東大寺、仁和寺、醍醐寺に居住した華厳宗の僧。大納言の法橋ほっきょう、岡の法橋、醍醐の法橋ともいう。『摧邪輪』を著して法然を批判した明恵の弟子。法然が弟子阿性房の紹介で南都遊学のときに訪問した。華厳の浄土教について尋ねると、法然の学解の深さに感服し華厳宗の血脈と書籍を渡し、受戒したと伝えられる。
【資料】『本朝高僧伝』一二(仏全一〇二)、『尊卑分脈』(『国史大系』六〇上)、『四十八巻伝』四(聖典六・三二)
【執筆者:坂上雅翁】