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慶安寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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けいあんじ/慶安寺

鳥取市寺町智光山。鳥取教区№三。江戸期には領内一宗の触頭ふれがしら寺院であった。もとは淡路国において専称寺と号した。播磨国姫路藩主池田輝政とその継室(法号良正院殿智光慶安大禅定尼・徳川家康女)の息、池田忠雄ただかつ(本、淡路国領主)が、良正院位牌専称寺に建立。池田氏の菩提寺とし、徳川将軍の位牌を安置する。その後、忠雄の備前国岡山藩主への国替えに伴って専称寺も備前へ移り、忠雄による良正院の一三回の御忌智光慶安寺と改号した。忠雄死後、寛永九年(一六三二)長男光仲が備前より伯耆国ほうきのくに鳥取藩へと国替えとなり、当寺も鳥取へ移った。


【資料】『蓮門精舎旧詞』三〇(続浄一九・四九四)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『鳥取藩史』一「世家一」(一九六九)・四「寺社志」(一九七一)、「諸檀林幷拾七箇国触頭寺院連名帳」「末山触頭牒」(『増上寺文化財目録』〔『増上寺史料集』附巻三四八頁参照〕)、『鳥取県史』三「藩政の確立と藩政組織」(一九七九)・六「鳥府志」(一九七四)


【参考】宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(大正大学・佛教大学共編『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)


【執筆者:米澤実江子】