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弘誓寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ぐぜいじ/弘誓寺

滋賀県東近江市建部下野町。報身山。滋賀教区№六一。文永七年(一二七〇)音阿の開基。延暦一〇年(七九一)建部社の神宮寺として建てられ比叡山一乗止観院に属し大願寺と称していたが、下野国しもつけのくにから建部の領主に封ぜられた那須与一宗高の七弘誓寺建立の発願を受け、二男の願名坊宗信が正嘉三年(一二五九)二月七日に当寺を改称し、その一寺としたという。彦根藩主井伊家の位牌所であり、近世初期には、知恩院直末で、末寺三二箇寺を擁する大寺であった。しかし、元禄二年(一六八九)、近江浄土宗教団触頭ふれがしら浄厳院により当寺および末寺一八箇寺が浄厳院末と書き上げられたため、当寺と浄厳院の間に争論が起こり、知恩院によって、浄厳院末とされ、旧末寺の組頭とされた。享保一六年(一七三一)旧末寺と当寺檀家の間に対立が起こったため、彦根藩が領内寺院に対し檀那寺の変更を許可すると、当寺は末寺のみならず檀家をも失う危機に陥ったが、同二〇年彦根藩領内八箇寺が当寺末に復帰することで落着した。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二四(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)


【参考】『近江蒲生郡志』七(弘文堂書店、一九八〇)、『八日市市史』三(八日市市市役所、一九八六)


【執筆者:曽田俊弘】