大永三年(一五二三)におこった知恩寺と知恩院の本末相論の結果、翌四年正月一八日に、後柏原天皇が知恩院に与えた詔書。年号を加えて、大永の御忌鳳詔、また大永の鳳詔ともいう。ここには「今より後、孟春の月に遇わば、宜しく京畿の門葉を集会し、一七昼夜法然上人御忌を修せしむべし」とあるが、この文言を根拠に法然の御忌が知恩院から始まったと解釈することはできない。相論で劣勢に立った知恩院を後柏原天皇が援助したと解釈すべきである。
【参考】伊藤真昭「中世浄土宗教団の特質—『祈禱』を手がかりとして—」(『仏教文化研究』五〇、二〇〇六)
【参照項目】➡御忌
【執筆者:伊藤真昭】