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義浄

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ぎじょう/義浄

唐・貞観九年(六三五)—先天二年(七一三)正月一七日。斉州(山東省斉南府)の人。姓を張氏、あざなを文明といった(一説に字を義浄いみなを文明)。幼くして出家し、二〇歳で具足戒を受け修学に精励、とくに律蔵の研究に力を注いだ。法顕や玄奘に憧れ、三七歳で広州から海路インドへ向かう。釈尊聖地をめぐり諸寺を訪ね、証聖元年(六九五)経律論四〇〇余部の梵本などを携えて帰国、洛陽に入り、勅をうけて仏授記寺に留まり梵本の翻訳に努める。没するまでに『金光明最勝王経』や『孔雀王経』をはじめ五六部二三〇巻を訳出したという。著書に『南海寄帰内法伝』四巻、『大唐西域求法高僧伝』二巻など。


【資料】『宋高僧伝』一(正蔵五〇)


【参考】宮林昭彦・加藤栄司『南海寄帰内法伝 七世紀インド仏教僧伽の日常生活』(法蔵館、二〇〇四)


【参照項目】➡南海寄帰内法伝


【執筆者:編集部】