雁塔
提供: 新纂浄土宗大辞典
がんとう/雁塔
雁のために建てた霊塔の意。古代インドのマガダ国帝釈窟山の東峰にあったという。昔、ある僧が一対の雁が飛んでいるのを見て、たわむれに「菩薩よ、今日は僧供が欠けている」と言うと、その声に応じて雁が自ら落ちてきた。人々はこの雁が戒を垂れたのだとして、その徳を讃えて雁を埋めて塔を建てた、という故事による(『大唐西域記』九、正蔵五一・九二五中)。唐・永徽三年(六五二)玄奘の建てた大慈恩寺の大雁塔が有名。浄土宗では法然が父漆間時国のために雁塔を建てて菩提を弔ったという(『四巻伝』一、浄全一七・五五/法伝全四六九)。また『四十八巻伝』四二には貞永二年(一二三三)正月二五日に湛空が二尊院の西に雁塔を建立しそこに法然の遺骨を納めたという(聖典六・六四六)。現在この地に古塔は三つ残っている。『常憲院殿御実紀』三九には右の塔が嵯峨天皇、中央の塔が土御門天皇、左の塔が後嵯峨天皇のものであるというが、中央の塔こそが法然と聖光の分骨塔であるとみられる。
【参考】三田全信「嵯峨二尊院の法然上人の納骨塔について」(印仏研究一七—一、一九六八)
【参照項目】➡仏塔
【執筆者:曽田俊弘】