経文を看読すること。読みは唐音であり、本来は「経を看る」ことから黙読することであり、声に出して読むということではなかった。中国の禅宗の語録などによく見受けられ、『緇門警訓しもんけいくん』二には「礼仏は敬仏の徳なり。念仏は感仏の恩なり。持戒は行仏の行なり。看経は明仏の理なり」(正蔵四八・一〇五三上)とあるように、仏の悟りそのもの(真理)を明かすことを看経という。後には誦経、読経と同じ意味で用いられる。『初心行護鈔』には「看経は両手で経を持ち、目前に対してこれを読み奉るべし」(正蔵八三・五三二中)とある。
【執筆者:大澤亮我】