海外開教
提供: 新纂浄土宗大辞典
かいがいかいきょう/海外開教
海外において教えを広めること。浄土宗において海外開教(布教)が制度化されたのは明治三一年(一八九八)であるが、これ以前に、一部の有志による布教はすでに始まっていた。まず、同二七年に松尾諦定が、ハワイ宣教会布教師としてハワイに渡り、同年中には岡部学応がこれに続いた。ついで同二八年、佐藤大道、橋本定幢の二人が台湾に渡り、特に橋本は、翌年浄土真宗の紫雲玄範と協力して、台湾開教同盟事務所を結成し、新たに仲谷徳念、武田興仁の両名を台湾開教使として迎え入れる準備を整えている。朝鮮半島においては、同三〇年に三隅田持門が、地元日本人貿易商の要請に応えて釜山に渡った。このような有志による海外開教は、国内においてこれを推進する人々によって支えられていた。それが、当時の浄土宗の機関誌ともいえる「浄土教報」の主宰者であった堀内静宇や白石尭海たちである。こうした人々の支援によって、現地では開教の実績が積み上げられ、やがて海外開教が浄土宗一宗の事業として、正式に制度化された。同三一年四月一四日に開教制度が定められ、浄土宗の事業として位置づけられると共に、同年八月六日の教令でその開教地域が具体化された。制定された開教区のうち、国内の開教区である第一開教区(鹿児島県奄美諸島、沖縄県)を除き海外の開教区は次のとおりである。第二開教区(台湾各地・澎湖島)、第三開教区(韓国京城、仁川、釜山、元山、木浦、鎮南浦)、第四開教区(ハワイ)。さらに同三八年に、清国(後の満州、中華民国)、同四〇年に樺太、昭和三年(一九二八)に北米、同八年に南洋、同二八年に南米が開教区に認定された。同一九年当時の開教区寺院・教会所数は、『浄土宗寺院年鑑』によれば一七一を数える。この時点で制定された開教区名にしたがって寺院・教会所数(以下〈 〉で表記)をあげれば次のとおりである。台湾開教区〈三二〉、朝鮮開教区〈四八〉、樺太開教区〈二七〉、満州開教区〈二七〉、中華民国開教区〈一五〉、南洋開教区〈四〉、亜米利加開教区(現・ハワイおよび北米開教区)〈一八〉。その後、同二〇年の第二次世界大戦終結によって、台湾、朝鮮、樺太、満州、中華民国、南洋の各開教区は閉鎖され、現在では、戦後に再開されたハワイ開教区と北米開教区、さらに同二九年に開教が始まった南米開教区の三開教区において開教活動が行われている。そのほか、開教区ではないが開教区に準ずる地域として、オーストラリア(クイーンズランド州ブリスベン一円)とフランス(パリ市一円)が、平成一五年(二〇〇三)に浄土宗より開教地の指定を受け、開教活動が行われている。
【参考】『浄土宗海外開教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)
【参照項目】➡開教、開教区、開教使、アジア開教、南米開教区、ハワイ開教区、北米開教区
【執筆者:水谷浩志】