阿部栄全
提供: 新纂浄土宗大辞典
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あべえいぜん/阿部栄全
明治一〇年(一八七七)八月一三日—昭和二七年(一九五二)二月五日。願蓮社行誉両阿。字は具足。満州国および樺太開教使。現在の愛知県津島市に阿部甚三郎の三男として出生。明治一五年(一八八二)に専修寺(同県豊田市)に入り得度。名古屋第三支校卒業後、宗命を帯び、同三八年三月に韓国・仁川教会所に赴任、同年一一月には開教副使に任命され、大連在留開教使となった。翌年四月大連民政署の許可を得、官有家屋と土地の無償貸与を受けて布教所を開設。同四二年四月には常盤公園内に観音堂、不動堂を建立し、同四五年には大連市天神町に敷地六五〇坪を求めて起工式を行った。大正元年(一九一二)一〇月に報国山大連院明照寺と号し、一一月には入仏慶讃法要・寺号公称式を執り行った。同三年第二代樺太開教区長に転じ、同七年六月まで開教院(豊原浄土宗協会所)に在山して開教活動に専念。帰国後は兵庫県西宮市・法安寺に住した。その一方で、阿部英学塾を創建し語学教育を実践した。晩年は戦火のため、焼失した自坊の再建に心血を注いだが、昭和二七年二月志半ばにして入寂した。
【参考】「浄土宗海外開教のあゆみ」編集委員会編『浄土宗海外開教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)
【執筆者:江島尚俊】