往生浄土を願わず、自分の欲が満たされることを願って念仏を称えること。聖光の『念仏三心要集』には「貪欲の故に利を思いて申す念仏は利養の念仏なり。また貪欲の念仏なり。これを雑毒の念仏と云い、これを虚仮の念仏と云い、またはこれを誑惑の念仏と云う」(浄全一〇・三八八下)といい、また『名目問答』で「一つとして往生の為に非ず、ただ利養の為なり。ただこれ名聞の為なり。此の如きの念仏をば世間の人人誑惑の念仏と云う」(浄全一〇・四〇一上)といって、念仏者のあるべき姿ではないと戒めている。
【参照項目】➡虚仮念仏
【執筆者:郡嶋昭示】