名古屋市中区錦。究竟山法王善住持院。尾張教区№四九。延享三年(一七四六)、荒廃していた朝日町の真言宗寺院を、山田円輪が再興、浄土宗に改宗し、帰依していた関通に捨世道場として寄進した。これにより実質上の開山を関通とする。関通が清浄華院主の請で京都で説法したことなどにより、清浄華院末であった。昭和二〇年(一九四五)空襲により全焼。同三六年に本堂、同四六年に庫裡が再建された。
【資料】『関通和尚行業記』中、『向誉上人行状記』、『関通上人行状記』(『関通上人全集』五)
【執筆者:竹内真道】