—宝暦二年(一七五二)一一月一五日。浄蓮社清誉。百万遍知恩寺四七世。寛延三年(一七五〇)五月、江戸崎大念寺より転昇。知恩寺の山内御影堂再建をめぐり、四六世遣誉真徹の決意と奉行所の許可収得、四七世連海の勧募、四八世知巌の落慶法要と、江戸後期の経済界の不況にもめげず完成させた三代にわたる一連の業績は高く評価される。とくに連海の諸国法施募縁は江戸にまで及んだといわれる。
【資料】『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)
【執筆者:今井英之】