文和四年(一三五五)—永享元年(一四二九)九月一一日(一説には一六日)。満蓮社酉誉。鴻巣勝願寺五世、鎌倉光明寺五世。相模の人。早くから鎌倉光明寺四世良順に師事し、のちに勝願寺五世となり大いに法化を敷いたという。
【資料】『新撰往生伝』一(浄全一七)、『鴻巣勝願寺志』(浄全二〇)、了吟『浄土布薩戒授法目録考』(続浄一三)
【執筆者:笠島崇信】