りゅうとん/龍頓
元和元年(一六一五)—元禄元年(一六八八)九月一六日。流頓とも記す。真蓮社乗誉。百万遍知恩寺四〇世。越前国府中の人。俗姓は筠氏。九歳のとき同国浄光院で出家し生実大巌寺随流や増上寺智哲に師事し学頭職に補せられる。寛文八年(一六六八)、大巌寺一〇世となり、延宝八年(一六八〇)五月三日、台命により百万遍に転じ紫衣綸旨を賜る。後西天皇は貞松院(六条局)の菩提のために宸筆の『阿弥陀経』を納め、天皇の皇子、放光院宮・宝樹院宮・凉月院宮の薨去にあたり当寺で葬送を行った。
【資料】『百万遍知恩寺誌要』『生実大巌寺志』(共に浄全二〇)、『鎮流祖伝』八(浄全一七)
【執筆者:今井英之】