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洛陽

提供: 新纂浄土宗大辞典

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らくよう/洛陽

中国河南省西北部、洛水北岸の都市。後漢がここを首都とし、続いて曹魏、西晋も首都とし、北魏のときに規模を拡大した。隋が中国を統一すると北魏の洛陽城とほぼ同規模の新城を西方一五キロの地に築き、東都と称した。これがいまの洛陽の前身である。近郊に仏教初伝の伝説で著名な白馬寺がある。北魏仏教の繁栄を描いた楊衒之の『洛陽伽藍記』によると北魏には千をこえる仏寺があった。洛陽曇鸞善導少康浄土祖師にもゆかりがある。曇鸞は北魏末の洛陽菩提流支ぼだいるしに会い無量寿仏の教えを説く仏典を授けられ浄土教帰依した。南郊の龍門石窟には善導が造営を検校(監督)した大盧舎那仏が現存する。少康は唐・徳宗の貞元の初め(七八五頃)、洛陽の白馬で光を発す「西方化道文」なる善導の著作を発見し、感激してその教えに帰したと『宋高僧伝』二五にいう。


【参照項目】➡龍門石窟


【執筆者:佐藤成順】