無生而生往生
提供: 新纂浄土宗大辞典
むしょうにしょうのおうじょう/無生而生往生
生に対する誤った考え(生見)を捨てた、一切の法は生滅することなく不変であることをさとった者の往生をいう。聖聡は『往生論註記見聞』四に無生而生往生と名づけている。見生無生往生に対す。曇鸞『往生論註』下に「彼の浄土は是れ阿弥陀如来の清浄本願無生の生なり。三有虚妄の生のごときにはあらずということを明かす。何を以てか是れを言う。夫れ法性清浄にして畢竟無生なり」(浄全一・二四五上)と述べているが、浄土とは阿弥陀仏の清浄なる本願によって建てられた畢竟無生の無為涅槃界である。このような浄土への往生について聖聡は『大原談義聞書抄見聞』に「無生而生の往生とは無生なり。生じ生ずれども不往生なり。来り来れども不来迎なり。此の無生無去の義は涅槃の証理なり。此の機は現世に無生而生の理を観じて往生を願うなり。実にこの機に約するに往生は全く無生なり」(浄全一四・七八四下)と述べ、現世において無生の道理を体得した者の往生を無生而生往生と名づけている。
【資料】『往生論註』上・下、『往生論註記』四、聖聡『往生論註記見聞』四(以上、浄全一)、『大原談義聞書抄見聞』(浄全一四)
【参照項目】➡見生無生往生
【執筆者:石川琢道】