明治四年(一八七一)一〇月二〇日—昭和一三年(一九三八)九月二八日。願蓮社荘誉巧阿。字あざなは慈海。大正・昭和初期の宗政に貢献した。現在の兵庫県美方郡新温泉町熊谷に田畑宇三郎の四男として生まれる。明治二四年(一八九一)小石川善光寺の本多円随の弟子となり、同三一年同寺の住職、同三五年には両国回向院に転住。大正五年(一九一六)増上寺大殿建築局長となり、低地にあった大殿を徳川家より五百余坪の譲渡をうけて高台に移転し完成させた。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:横井大覚】