越中国光明房へつかわす御返事
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:20時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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えっちゅうのくにこうみょうぼうへつかわすおへんじ/越中国光明房へつかわす御返事
法然著。承元三年(一二〇九)六月一九日付の『一念義停止起請文』と一対の文献とされるので、その頃の成立と考えられる。北陸道の一念義を邪見として批判する文献。『西方指南抄』下本、『和語灯録』四、『四十八巻伝』二九に所収。越中国(『四十八巻伝』『九巻伝』では「越後国」)で多念に励んでいた法然の弟子の光明房が、法然に「幸西の弟子等が当地で一念義を弘めているので、それを誡める手紙をお送り頂き、国中の人に見せたい」と申してきたのに対し著された書状。本書状と一対をなすとされる『一念義停止起請文』が公式文献的性格を有するのに対し、本書状は私信の形式をとる。『往生礼讃』等の文を根拠に多念を排除することの不当性を述べ、一念義の輩が言うところの「信を具足した念仏を一度だけ申せば、その後は念仏しなくとも、またいかなる悪行をしようと往生できる」という主張を、根拠のない邪見と全面否定する。そして一念義の者を「附仏法の外道」「獅子身中の虫」(聖典四・四二三/昭法全五三九)などと厳しく批判する。なお、本書状から、建永の法難以後も、北陸道のみならず、京都においてさえ、一念義が弘まっていたことが知られる。
【所収】聖典四、昭法全
【参照項目】➡一念義停止起請文
【執筆者:安達俊英】